産休備忘録

育児をなんとかサバイブしたい母親業初心者のブログ

大人になるということ 「シン・エヴァンゲリオン」と「あの子は貴族」

タイトルの2作はたまたま同時期に公開されていて、たまたま私が最近見に行った2作だからというだけの関係なのだけど。

 

 

シン・エヴァンゲリオンを見てきた。(以降物語の展開について触れます。ネタバレというより視聴後の感想ですが、ご注意ください)

 

年齢的にはエヴァ自体はリアルタイムのファンではない自分。エヴァはファンの奥が深すぎて「好き」というのが憚られるほどの作品だが、それなりに自分も好きで、アニメシリーズも旧劇場版もコミックスも目を通してはいて、リアルタイムで観劇できるようになった新劇場版からは毎回映画館に足を運んでいた。そんなエヴァンゲリオンが今回完結した。

 

ネタバレ上等派なのでネットで感想を一通り読んでから向かい(生粋のエヴァファンはそういう行動を取らないと思われるので、やはり私はコアなファンではない)映画館で観賞してきたわけだが、ありがちな言葉だけど、とても良い良い映画だった、と思う。いろんなところで評されているが、綺麗に纏まっていた。多分この「綺麗にまとまっていた」はエヴァファンにとっては褒め言葉ではない。

 

「俺たちは早く大人になるしかなかった」「自分でしたことの落とし前は自分でつける」キャラクターたちの台詞もうろ覚えな部分が多いが、早く大人になれ、という、成長を促す物語だったと思う。アニメに夢中になるな、働け、子を育てろ、社会を構成しろ、自分の責任は自分で取れ。説教くさい部分もあったが、子供を産んだ自分にとっては自然に入ってくる言葉だった。多分もう少し前の自分が見てもピンとこなかったと思う。ていうかエヴァで授乳シーンを見るとは思わなかったよ。つばめちゃんは生後6ヶ月くらいだろうか、委員長は産後まだ半年くらいだろうに家事もして近所の子供の面倒を見ているような描写まである、、すぐに働いててえらい。体は大丈夫だろうか。無理しないで欲しい(すぐに経産婦目線になってしまう)

 

個人的にはゲンドウが突然の自分語りを始めることが、キャラ崩壊だとか蛇足だとかいろいろ言われているが、彼に対しての救いもあったことで今回の綺麗な纏まり方に繋がっているので良かったと思う。往々にしてアニメの主人公は少年少女であり、彼らは成長することで救われていく。大人が描かれることは少ないと思うが、ゲンドウのような子供もいるおじさんだって救われるというのがよかった、親だって完全な生き物ではないのだから対話が必要だし救いが必要なのだと思う。(ゲンドウが精神的に大人であったかどうかは別の話ではあるが。)多分子供がいなかったらこういう思いは抱かなかっただろう。

 

真希波についてもいろんな考察がされているが、エヴァを終わらせるために必要な存在、というワードがしっくりくる。最後真希波がシンジくんと走り出していくことも、なぜ真希波??などと言われているけれど、大人になるときにそばにいるのは大抵が子供の頃から一緒にいる人じゃない。綾波もアスカもカヲルくんも、シンジにとっては長年の過去を知っている(知られている)腐れ縁であり、そことつるんでいても大人にはなれなかったんだろう。大人になるときに地元を離れて自分で生きる場所を見つけると、子供の頃の繋がりは切れてしまう。自分で選んだ人と一緒に生きるようになることで大人になる。そういう意味で真希波エンドは個人的には好きです。

 

 

「自分で選んで大人になる」というのは最近見た「あの子は貴族」という映画にも濃く現れていた。エヴァとは全くテーマも内容も違う邦画なので並べて議論するのは少しおかしいのだけど。

 

anokohakizoku-movie.com

 

「あの子は貴族」は、こんな話(公式サイト引用)

東京に生まれ、箱入り娘として何不自由なく成長し、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華子。20代後半になり、結婚を考えていた恋人に振られ、初めて人生の岐路に立たされる。あらゆる手立てを使い、お相手探しに奔走した結果、ハンサムで良家の生まれである弁護士・幸一郎と出会う。幸一郎との結婚が決まり、順風満帆に思えたのだが…。一方、東京で働く美紀は富山生まれ。猛勉強の末に名門大学に入学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。幸一郎との大学の同期生であったことで、同じ東京で暮らしながら、別世界に生きる華子と出会うことになる。2人の人生が交錯した時、それぞれに思いもよらない世界が拓けていく―。 

 

小説が好きで、この度映画化したということで見に行ってきた。東京上流階級の閉じた静謐な世界観が婚活によって一気に世間に引っ張られる感じは面白かった。上京女子のストーリーは自分も経験したことがあるだけに痛々しくも理解できた。周りのおしゃれな人たちにただわけもわからず巻き込まれていく感じ、なんとなくあわせた愛想笑い、キラキラした東京の夜景といった、わかりやすい東京をきれいに描いていた。映像が綺麗で映画館で見れて良かった。

 

この映画の中でも「自分で選ぶ」ということがテーマになっていたと思う。一番印象的なのは東京出身の華子が上京組の美紀の部屋を訪れるシーンだが、美紀の部屋は小さくで古ぼけているものの、アクセサリーやベット、カーテンにマグカップにと、全てが美紀のセンスで選ばれており、「自分の城」という雰囲気を醸し出している。東京タワーが少しだけ見える立地というのも上京者らしい。一方でその華子が住んでいる豊洲のマンションは、親が税金対策で買い与えたもので、インテリア雑誌に出てきそうなくらいきれいな内装はきっとプロによるものなんだろう。家の場所も、中身も、何一つ華子は選んでいない。与えられたものを受け取っているだけ。それが嫌で華子は最後一歩踏み出す形になるのだけど、「選択する」という行為を通して物語は進んでいく。私も自分の人生で何が気に入っているかといえば、いきたい学校や住みたい場所を自分で選んでこれた、ということだと思うので、子供にも自分で選択する力を身につけて欲しいし、選ぶ機会を積極的に与えてあげたい。最初は自分で選んだ結果への責任は自分で取れないかもしれない。そういう時は自分の選ばせ方が悪かったと一緒に責任を取ってあげたい。いつか自分で選んで、こっちの助けは必要としない日が来るだろう。そしたら親としては立派に育てられたと胸を張れるのだろうか。なんかどんな物語を見ても、今は自分の子育てと結びつけて考えてしまうなあ。

 

 

というわけで、最近読んだ映画についてもやもや考えていたことを文章にしてみたけれど、なかなかまとまらないなー。どの映画でも「選択する」ということは描かれているし、生きる上での究極のテーマなのかもしれない。わざわざ最近見た作品を比較するまでもなかったか。エヴァの考察ブログなど、ピリッと切れ味の鋭い読ませる文章がたくさんあるので、もっと自分の言葉を綺麗に言語化できるといいなと思った。