先日、娘の保育参観があった。
有休を一日取って、朝から公園に行き、ゆっくりめに登園して、午前中は保育園の娘のクラスに参加させてもらって過ごした。保育園での娘は、家でのお転婆な妹の姿とはまた違って、先生から何か指示があると積極的に参加するし、お友達とも楽しそうにしているし(おもちゃは取り合ったりもするけど)、ご飯もちゃんと自分で食べるしと、ちゃんとした保育園児だった。お昼ご飯の給食を食べた後一緒に帰宅して、家でお昼寝して、午後からは絵画教室の体験に行き絵の具まみれになった。休みを取ったことで、一日娘と一緒にいることができて、娘の知らない一面も知ることができた。
慌ただしい毎日の中にこういう時間があると、本来子供との時間ってこう過ごすべきなのかなあ、という思いがふと湧いてくる。本当は午前中で家に帰ってくるのが望ましい生活なのかなあとか、晴れた秋の日に子供と一緒にお昼寝するのって幸せだよなあとか。でも仕事をしていなかったら今の保育園やお友達には出会えていないし、毎日午後家に娘がいるとなるとそれはそれで持て余しそうだし……と、思考があっちこっち反復横跳びをしてしまう。
慌ただしい、とは書いたけれど、そもそも仕事がすごく忙しいのかと言われるとそうでもない。残業をほぼすることなく過ごしているし、在宅勤務にさせてもらえれば通勤時間も浮くので時間的な余裕は更にある。今の私の仕事は社内向けの企画系の仕事なので、顧客対応のような緊急性がある仕事ではなく、定型業務を抱えているわけでもないので、締め切りに追われるといったようなことはない。要するに自由度の高い職場で、これ以上ない環境なはずなのだが、これまで営業職として予算や顧客対応に追われてきた経験と比べると、自由度が高すぎて少し戸惑っているというのがある。
もちろん、子供を二人育てていると、それだけで日常生活は慌ただしい。朝起こしてご飯を食べさせて保育園に送っていくだけで一日のエネルギーの六割くらいは使っている気がする。それで日中在宅勤務をしていると、あまりに家が静かで自分のことに集中していられるので、余裕があると感じるのだと思う。
余裕があるというのは素晴らしいことで、子供が風邪をひけば休みを遠慮なく取ることができるし(自分が対応必須な打ち合わせがある際は夫に休んでもらうこともあるけど)、子供が早く迎えにきて欲しいと言えば五時に迎えにいくこともできる。今はほぼ、一度中抜けして毎日五時台にお迎えに行き、家に帰ってから少しだけメールを見て一日の勤務時間を調整しているような働き方をしている。フレキシブルな時間で働くことができて、家庭とも両立できて、何の不満もないはずである。
一方、物足りなさ、というか、罪悪感を感じている自分もいる。チームにはもっと重い業務を抱えていて、かなり残業している人もいる。仕事の配分が一部の人に偏っているようにも思う。自分は自分のできる範囲で精一杯プロジェクトを進めているつもりだが、もっと残業したりすればできるんじゃないの?という思いは消えない。他の人はもっと頑張っているのに、自分だけ私生活もこんなに安定していていいのか?会社がそれでいいと認めて給料を払っているならそれでいいのかもしれないけど。でもなんだかこの”もっと残業してまで仕事しなくていいのか”という考え方自体が社畜的というか、全身全霊で仕事に打ち込まなければいけないという少し古い価値観のような気もする。残業している人の仕事を私や他の人に振ったらその人の残業は減るのかというとそうでもない気もするし、私が残業できるかというと今の生活では無理だし、などと考えてしまう。
本当に必要なら残業だって無理じゃないし、やろうと思えばできるけど、そこまでしてやるべき仕事なのか?子供との生活の時間を犠牲にしてまで必死にこなさなければいけないタスクなのか?と一歩引いて見てしまう自分もいる。もちろんこれをやらなきゃ会社が倒産するんだって言われたらやらないきゃいけないだろうけど、そもそもそんな重要な仕事を私に任せるなと思うし……何だか言い訳ばかりで終わりがない気がしてきた。
第一子の育休から戻った直後は、できるだけ仕事のペースを落としたくないし、子供が寝た後に残った仕事をやってどうにかついていきたい、という、仕事へのモチベーションがかなり強かった。育児と仕事をちゃんと回せるんだろうか、という不安も大きかったからだと思う。思ったよりもそこは何とかなって、第二子の育休後、今の職場に戻ってからは、家庭を大事にしたいという気持ちも強くなった。仕事へのモチベーションが落ちたわけではない。仕事は頑張りたいし、評価されたいし、誰かの役に立ちたいし、できることがあれば自分でリードして進めたいと思う。それと同じくらい、小さい子供との限りある時間を大切にしたい、一緒にご飯を食べたい、夜寝るときはそばにいたい、という気持ちも強くなった。今は毎日バタバタで大変だとか言っているけど、きっとそんなフェーズは一瞬で過ぎ去ってしまう。その一瞬を、少しでも楽しみたい。(とか書きつつ、渦中にいるとしんどくて、よく飲みに行ったりしてしまうし子供の前でもスマホを見て現実逃避している。全てが矛盾している。)
上の子は再来年に小学生になる。そうすると育児の大変さも少し意味合いが変わるだろうし、それに合わせて私の働き方も変わるのかもしれない。ただ、以前のように仕事が優先で家庭はどうにか折り合いをつける、という考え方は薄れつつあって、家庭の用事が先で仕事の方が折り合いをつけるようになってきている。でもそれは今の融通がきく仕事だからとか、周りの理解があるとか、そんな背景も関係しているのかもしれない。何だか同じことばかり書いている気がするけど、仕事も家庭もどっちも大事にしたいし、優劣はつけられないけど、今現在時点では家庭の方に重きを置きたいという気持ちであることが確かである。
これを「仕事はもう頑張りたくない」だとは私自身は捉えていないのだけど、周りから見たらそう思われるのかなあとも思う。
たまに有休をとって子供と過ごすと、こんな毎日が理想だなあと思う。でもそれは働いているから思うことで、毎日ずっと子供と一緒にいたらしんどいこともある。結局ずっとないものねだりを続けていくし、いつだって隣の芝生は青い。最近好きなポッドキャストの「隣の芝生はソーブルー」みたいなことを言いたくなった。
まだ流暢に喋り始める前の2歳児との時間は、とてもかわいいし、とても幸せだし、時々しんどい。自転車に一緒に乗りながら童謡を歌っているときはとっても幸せだし、寝るときにぎゅっとくっついてくるのも超可愛い。舌足らずで「ねんねちない」「おーぐると」などと言っているのは可愛くてしょうがない。でもこちらが手の離せない家事をしているときに何かを要求してギャンギャン泣く時はうるさくて仕方ないし、寝かしつけ中に全然寝ないとイライラする。このブログの記事はひと段落ごとに全てが矛盾している。
しかしまあ、色々矛盾やモヤモヤを抱えながらも、明日も頑張りましょうということで。