産休備忘録

育児をなんとかサバイブしたい母親業初心者のブログ

生後4ヶ月と緊急事態宣言

4月7日、息子が生まれてちょうど4ヶ月が経った。

 

ちょうどその日、緊急事態宣言が発出された。(ニュース見ていると、発令ではなくて発出って言うんだね)

www3.nhk.or.jp

宣言自体にはかなり事前調整の時間が長かったので驚きはなかった。ただ日々感染者数が増える中、自分の中ではより緊張感が増したような気がした。

 

住宅街に暮らしていると、緊急事態宣言の前と後ではそんなに人出もかわらないように感じるけど、繁華街ではかなり人出が減っているんだろう。

 

ただ近所のスーパーで一度に来店する人数に制限をかけていて列が外まで伸びていたりするのを見かけると、ここにも緊急事態の影響が、というのを少し感じる。

 

自分の生活はそんなに変わらない。毎日赤子を見つつ出かける先はスーパーくらい。たまに散歩して、お昼をテイクアウトする。

 

今は平時じゃなくて有事なんだろうけど、こんな有事もあるのだな、と少し呑気なことを思う。

 

思えば戦争の頃だって、イメージとしては空襲の悲惨な景色を思い浮かべるけど、毎日そうだったわけではないし、今みたいな淡々とした日常があった上での有事だったんだろうな。

 

話は変わるけど、最近読んで一番グッときたのが山崎ナオコーラさんの「母ではなくて、親になる」。

www.kawade.co.jp

妊娠中から、こういった妊娠出産にまつわるエッセイは気になって買ってしまう。山崎ナオコーラさんの子供との距離の持ち方、仕事と子育てへのこだわりなど、すてきだなと思う部分が多くあった。

 

出産前にこういうエッセイを読んでも、育児の部分は正直全然想像ができなかった。でも、今は自分の赤子が生後4ヶ月になって、そこの部分まではとても共感して読むことができる。新生児の頃の描写や、生後2ヶ月くらいまでは生きてるかそわそわしてしまうあたり、きっとどの親もそうなんだろうな、と。


生後4ヶ月より先のエッセイは、まだわからない部分が多い。うちの赤ちゃんはまだ離乳食を食べないし寝返りもハイハイもしないので自分では動けない。目が離せない、という状況ではまだない。これからまたその文章がわかるようになるのだと思うと楽しみでもある。

 

この本では毎月赤ちゃんの成長を記録する文章があるのだけど、生後4ヶ月の部分には「そろそろ簡単には召されない(天に)だろうという気持ち」とあって、自分も激しく同意した。今まではちゃんと生かせるかそわそわしていることが多かったけど、4ヶ月も経ってくると自分も慣れてくるし、体つきもしっかりしてきてむっちりと重くなり、生命の躍動を感じる。こちらは何も教えてないのに、自分で足を上げて寝返りの練習をしたりしている。生きているんだな、成長しているんだな、という気持ち。

 

コロナの影響で不安になることも多いけれど、赤ちゃんが自分の近くにいてくれることでだいぶ精神的に救われていると思う。明るいニュースばかりではないときでも、赤ちゃんは何も変わらずに笑ってくれるし、たくさんウンチをするし、たくさん吐き戻してカーペットをベチャベチャにする。慌てて部屋を掃除したり着替えさせている間に不安な気持ちもどこかに吹っ飛んでしまい、この子がいまここにいてくれてよかった、と思う。こんな小さいのに、自分の方が勇気をもらうなんてなんだか不思議だ。

 

ここまであっという間の4ヶ月。6月から保育園の予定だけど、始まるのかな。復職もどうなるかな。先は読めないし、なかなか外には出づらい時期が続くけど、しばらくは赤ちゃんとこうやってのんびり過ごすのを大切にしたい。

 

マンション購入日記 その1〜ウシジマ君編〜

2018年秋。

 

同棲して2年、入籍して1年、結婚式もハネムーンも無事終えた頃、考え始めたのは今後の住居と子供をどうするか。

 

夫婦共に地方出身。寄る辺のない東京で子育ての基盤を固めるためにも、まずは住居について方針を決めようと今後住むところどうしようプロジェクトがスタートした。

 

その時夫婦で話し合っていた希望条件はこんな感じ。

・住居形態としてはマンションを希望。予算的に東京で戸建は無理だろうと想定。

・猫が飼いたいので、猫を飼える賃貸 or 購入を検討。

・当時1LDK住まいだが、子供ができることを考えると最低2LDKにしたい。

・今後の財政面を考えると家賃は現状維持が必須。

・家賃現状維持+猫OK+部屋を広くしたいと考えると今のエリアでは無理なので、東京東側を検討。夫婦ともに独身時代住んでいたことがあり土地に馴染みがあるため。

・今後も共働き前提なので勤務先までお互いドアtoドア30分以内が目標。

 

その後、以下のような段取りで家購入までたどり着いた。

中央区で中古マンション2件見学するも挫折→近場でいい感じの中古検討→予算的に断念→SUUMOカウンターへ→新築マンション3件見学→購入

 

一番最初に見に行ったのは、中央区の中古マンション。その時の体験がいまだに忘れられないのですこし記録しておこうと思う。

 

中央区はお互いの職場へのアクセスが良く、また都心に住むという憧れも叶うのでいいのではないか、と思っていた。

 

SUUMOでいくつか気になる物件を探し、見学予約を入れ、10月のある週末、最寄駅で不動産会社と待ち合わせた。

 

駅のロータリーには黒いワゴン車が止まっていた。

 

あの車かな?と思い近寄ると、助手席から黒スーツのびしっと決めた小柄な男性が出てきて、名前の確認と、今日案内させてもらうXXです、と名乗ってくださった。

 

緊張しながらも、物件を見に行くのは夫婦ともに結構好きだったので、わくわくしながら車に乗り込む。

 

すると運転席には、闇金ウシジマくんのような、大柄でオールバック、すこしヤンチャな雰囲気の黒スーツのがっしりした男性が座っていた。

yawaspi.com

どうやら見学を申し込んでいた不動産会社の社長らしい。

 

この時点で(あっ・・・・・見学をお願いする会社、間違えた・・・・・・)と思うものの、もう後戻りはできず。促されるまま車に乗り込んで見学先のマンションに向かう。

 

見学先のマンションに向かう中、社長はよく喋る人で、今買うのはいいタイミングです!という話や、中央区はかなり今後も高くなる、というような話をずっとしていた。

 

途中、社長の携帯に電話がかかってきて、どうやら部下からの電話だったのか、「オイコラァ!」みたいな怒鳴り声を聞かされたのも覚えている。怖すぎてこの辺はあまり覚えていない。ただずっと緊張していた。

 

完全にこの時点でマンションを購入するテンションは下がっていた。

 

車内では、よかったらお食べください、となぜかドロップスを渡された。

www.sakumaseika.co.jp

お茶とかならわかるけど・・・なぜドロップス・・・・

 

手を付けづらくて、受け取ったものの車内の後部座席でずっとカラカラと悲しい音を立てていた。

 

この日に見学を予定していたのは2件。

 

1件目の物件は、築20年ほどの2LDKの中規模マンション。

 

エントランスでちょうどベビーカーを引いた親子連れに会い、子育て世帯も住んでいるのだと好感を持った。

 

見学中、社長は車内に残り、助手席のお兄さんに部屋を案内してもらう。

 

部屋の雰囲気は良かった。日当たりも良く・・・しかし、部屋から勤務先のビルが見えるほど会社に近かった。

 

これ、オンオフつけられず絶対精神病むじゃん。

 

また、築20年でこの広さ・値段なら、場所を変えて新築にしたほうがいいのでは、などと話す。見学する前は新築は高いだろうし中古でいいや、と思っていたけど、当時中古もそこそこ高く、この辺の感覚は実際見てみないとわからなかった。

 

次を見学させてください、とお願いして車に戻ると、車内で待機していた社長にはすでに会話が共有されており、じゃあ次に行きましょうか、と憮然とした態度で移動された。

 

どうやら内見中の夫婦の会話は、助手席のお兄ちゃんが付けているインカムによって、すべて社長に共有されていたらしい。

 

コワイ・・・コワスギルヨ・・・

 

2件目のマンションは築30年ほど、同じく2LDK、大規模マンション。

 

築30年というだけあって、外観は団地感が半端ない。廊下もひっそりと薄暗く、もうその時点で帰りたかった。建物のせいだけじゃないけど。

 

部屋の中はリノベされていて綺麗であり、部屋もその前に見に行ったところよりは十分広かった。しかしマンション全体の陰気臭さが気になり、かつ日当たりも良くない中、ここで決めようとはとても思えなかった。

 

その際も助手席のお兄さんは一緒に部屋にいたので、ずっと監視されている気分で「きれいだねー」「いい部屋だねー」などと盛り上げる言葉を言っていたけど、心は帰りたい一心。

 

10分ほどなんとか間を持たせて、今日はここで帰らせてもらうことに。

 

下に降りて、車の横を通り過ぎる時、恐怖すぎて社長の顔は見れなかった。

 

最後に何か嫌な捨て台詞をはかれたように覚えているけど、もう記憶がない。

 

その後はとにかくあの場から離れたい一心で近くの駅まで必死に歩いて、カフェに入ったところでやっと一息ついたのを覚えている。

 

楽しみにしていた初のマンション見学だったが、ひたすら恐怖の1日だったため、テンションは地に落ち一気に購入への熱意がなくなってしまった。

 

不動産界隈は結構ヤバめな会社も多そうなので、見学に行く際にはしっかりとした会社を選ぶ必要がある、という教訓を得た日でした。

 

思ったより長くなってしまったので、次回(?)に続きます。

 

 

東京自粛日記

今週末の東京は百合子さまにより外出自粛の要請がなされた。

 

www.jiji.com

自分の生活を振り返ってみると、乳児連れなので基本電車に乗るような移動はせず、近所のスーパーかカフェに行くのみ・・・という行動範囲なので、もし今後東京がロックダウンされたとしても対して生活は変わらないだろうな、とも思う。友達と会えなくなるのはかなり寂しいけれど。

 

週末の生活の備忘録。

 

土曜日、朝9時頃起床。いまだに夜3−4回は夜泣き対応があるので、あまり早くは起きれない。いつになったら夜通し寝てくれるようになるんだろうか。

 

GoogleHomeに朝のニュースを流してもらうのが日課。前はワイドショーを見ながらだらだら朝ごはんを食べていたけど、ここのところコロナの不安を煽るようなニュースしかやらないのでテレビを極力見ないようにしている。夜のニュースもNHKのみ。非常時に頼れるのはやはりNHKである。

 

午前中、お子の機嫌がいい間に掃除して布団干して洗濯機回して・・・とやっているとあっという間にお昼。最近は夫が基本在宅なのでお昼を作ってくれる。

 

午後、生鮮食品を買い出しにスーパーへ。今週末は寒かった。散歩を兼ねて近所の桜スポットにも足を伸ばしてみたけど、まだ8部咲きといったところだった。来週は雨が続くというのできっとあっという間に散ってしまうんだろう。お子と桜のショットが撮れたので満足。スーパーは先週外出自粛要請がでた木曜と翌日金曜はすっからかんになっていたが、週末の時点では在庫は回復していた。流通業のみなさまお疲れさますぎる。

 

夕方ご飯をつくって食べて、お風呂に入れて寝かしつけて・・・といった2−3時間は毎日バタバタである。21時に寝てくれるので、その後から自分が寝るまでの時間がやっとゆっくり自由になれる時間。日中も昼寝をしてくれている時などはちょこちょこ隙間時間があるが、細切れだしいつ時間が空くか予測できないので、自分の時間というのはやはり取りづらい。

 

こんな風に過ごしていると、世界がウイルスの恐怖に脅かされて危機に瀕している、なんていうのは遠い現実のように思えてしまうが、毎日のニュースを見ているとじわりじわりをそこにやってきている。東京のロックダウンも時間の問題なのではないかと思う。来週あたりだろうか。

 

4月は実家への帰省を予定していたけど、ロックダウンがあるとなるとどうしようか迷う。自分だって無自覚感染者である可能性もゼロではないし、イタリアなどでは地方に帰省した若者がウイルスをばらまいてしまったとも聞く。しかし実家の親はもし帰らないとなると東京に来てしまうだろうし、高齢の親が東京に来てしまうのはもっと危険だろうし、孫会いたさに生きている彼らは今は私のいうことは全く聞いてくれないし・・・。

 

この前実家に帰省した時は2月の終わりだった。あの頃は北海道が緊急事態宣言を発令しており、東京はまだそこまで緊迫感はなかった。帰省中に一斉休校が発表され、そこまでまずいの?と危機感をようやく感じたくらいだったように思う。オリンピックはまだ夏にやる予定だったし、コロナなんてインフルと変わらないんだからそこまで心配しなくても、という論調の記事がまだまだあった。

 

あれから1ヶ月で状況は大きく変わった。正直、2月の終わり頃に中国や武漢の現地レポートを読んでも、対岸の火事だと思っていたところもある。今はもはや欧米が流行の中心地で、イタリアやニューヨークの医療従事者の悲痛な記事がネットに上がってくると、日本でもこうなりかねない、と危機感を感じる。東京では感染者数が3日連続四十人以上を超えた。

 

4月の終わり、また1ヶ月後、私はどんな記事を書いているだろうか。東京はやばい、という悲痛な記事を書いているのか。ゴールデンウィークの予定を楽しみにできているだろうか。3月に義両親に会えなかったため、連休は義実家にゆっくり帰ろうと思っていたけれど、移動制限がかかっていたらそれもできない。あと1ヶ月で収束しているとは思えないが、なんとか今のギリギリ経済活動をできるだけの暮らしを保ってほしい、と思う。そのためには自身もできるだけ注意して過ごしたい。

 

そして何年後かには、大きくなった子供に、あなたの生まれた年は大変だったんだよ、と語ってあげられますように。そのとき自分も家族も笑っていられますように。

 

じわじわ迫りくる恐怖

少し不安が強いので文章にして吐き出す。

 

午後6時前後になるとNHK速報で、東京の今日のコロナウイルス感染者数が流れる。

 

先ほどの速報だと、今日で40人以上の感染者が出たとのこと。

 

ゾワっと鳥肌が立った。

 

昨日までは10人後半台で推移していたものが、一気に倍増以上。

 

あれだけ予定通り開催にこだわっていたように見えたオリンピックも、昨晩延期が決定した。

 

三連休前は、北海道の緊急事態宣言が解除され、学校休校も再開とのことで、このまま一旦は落ち着くのだろうという雰囲気を感じた。

 

しかし、連休中に小池知事から首都封鎖の可能性の発言。

 

今後一体どうなる?

 

震災の時、毎日ニュースに放射線値が報道されていたのを思い出す。

 

あのまま天気予報のように定着するかと思っていたが、いつの間にかニュースで触れられなくなり、日常に戻っていった。

 

いつかそんな風に日常にまた戻るだろうか。

 

育休中の今、正直毎日やることがあるわけでもなく、子供をあやしているうちに1日が終わるという同じような日々を繰り返していた。

 

しかし、ここのところ、毎日が目まぐるしい。日々刻々と状況が変わる。

 

明日やろうと思っていたことが、できなくなる可能性がある。

 

時間があるが故にニュースの見過ぎなのかもしれないけど、2月の頃より状況は悪くなる一方で、全く安心できない。

 

子供もいる今、自分だけではないし、不安が大きい。

 

米などある程度の備蓄品は揃えた。

 

不安に囚われすぎてもいけないが、こうも日々状況が変わり、政府も朝令暮改の中、楽観視もできない。

 

どうか早くこの騒動がおさまりますよう。

 

 

 

暇になるとブログを書く人生です

大学生の頃、ブログを書いていた。

 

震災ボランティアを終えて 凡才ワラビー(仮)

サンテンイチイチの傲慢さ 凡才ワラビー(仮)

 

震災の頃ボランティアに行った時の記録や、その後の報道を見ながらモヤモヤ感じていたことを記録に残していた。

 

この頃の自分はとにかく時間を持て余していて、何か自分を充実させたくて、バックパッカーをしたりいろんなサークルの門を叩いてみたりしていた。ブログもその一環だったのだと思う。

 

育休中の今、時間に余裕ができたわたしはまたこうやってブログを書いている。

 

コロナウイルスで社会が混乱する中、日本では比較として9年前のあの震災の経験が語られることが多いと思う。混乱する経済と生活、自粛ムード。震災とウイルスという全く違う現象ではあるが、危機感はなんとなく似ているように思う。

 

あの頃から社会はどう変わったんだろうか。

 

震災の翌年に就活をしたが、その頃は「グローバル人材」という言葉が流行っていた。震災の影響で、会社の近くに住むのがトレンドだった。SNSが流行り始めて、まだ辛うじてmixiが生きていて、Facebookは海外かぶれした人だけしか使っていなくて、Twitterをやってる人はかなり少なかったと思う。

 

今の就活生に流行るのはデジタル人材という言葉だろう。このコロナの状況ではグローバル人材も真っ青だが、この言葉はどこに行ってしまったのかというくらい今では聞かれない。コロナによってリモートワークが推進されると、家については価値観が変わるかもしれない。人との繋がり方やコミュニケーションの仕方も変わるだろう。

 

自分自身はこの10年で、上京した頃よりは責任も重くなった。ある程度なんとかやっていけるだろうという自信もついてきた。

 

今自分が経験していることは、きっと震災の時のように、歴史に残るし、大きな価値観の変化が今後やってくる。役に立つかは分からないけど、自分の今の感覚を少し残しておきたいな、と思って書いた文章でした。

 

 

生後100日のお食い初めと100日後に死んだワニ

 

 

 

 

今日、ワニが死んだ。

 

 

ワニが死ぬまでの100日間も、我が子はすくすくと育っていました。

 

ということで、お食い初めの記録。

 

今後も食べるものに困らないようにという願いをこめて、生後100日を迎えたときにやるこのイベント。子供が生まれるまでは成長を祝うイベントなんて七五三くらいしか知らなかったが、色々あるんだなぁと思う。昔からやってたんだろうか?

 

水天宮で遅めのお宮参りをして、その後人形町今半てランチをしました。

 

実家と義実家合わせて盛大に祝う予定だったので奮発して今半を予約したのだが、コロナウイルスの影響で上京を見合わせに。キャンセルするのも惜しかったしすき焼き食べたかったので、夫婦と子供だけでこじんまりと。せっかく孫に会ってもらえる機会がなくなってしまい残念。

 

今半のお食い初め膳は5000円ほど。お食い初めは赤ちゃんに食べさせるふりをするのだそうで、今半からは手順の紙ももらったが、めんどくさがる我が家はとりあえず写真だけ撮って終了。愛があれば良いんだ、愛が。鯛、美味しかったです。(写真はお箸つけてしまった後…ご容赦を、、)

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その後、大人向けにすき焼きを店員さんが焼いてくれて、いろいろ話していたのだが、コロナの影響でやはり2月下旬から3月頭はかなり客足が遠のいていたと教えてくれた。外食産業への影響は多大だろうなと思う。

 

生後100日、三ヶ月を迎え、我が子はすくすくと育ってくれている。

 

備忘録として変化を書き留めておくと

・よく笑う。笑いながらキャッキャと声をあげるようになった。かわいい

・よく喋る。あーうーといった単語以外にも言葉のまとまりを発するようになった

・目がよく見てきている。先月まで全く見てくれなかった絵本に反応するようになった

・指をずっと舐めている。自分の思い通りに動かせるようになってきた

・寝相がすごい。縦に寝かせても起きたとき横になってる

・睡眠時間は四時間を超えなかったが、最近5時間6時間寝る時も出てきた。こちらも少し寝れてありがたい

・昼寝をよくするようになった。

・体重が7キロに迫る勢いで重くなっている。私は腰痛と腱鞘炎がやばい

・肉付きが良くなってきて、腕がちぎりパンになってきた。かわいい

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どんな小さなことでも成長していてすごいなぁと思う毎日。コミュニケーションが取れるようになってきたのが嬉しいし、かわいい。これからもすくすく育って欲しい。

 

100日後に死ぬワニの漫画にここ数日心を持ってかれていたけど、その間にも我が子はここまで成長してくれたんだと思うと感慨深い。

 

そしてこの100日で世間がこんなことになるなんて、ワニも誰も予想してなかっただろう。

 

誰だっていつかは死ぬワニなのだ。

 

どんな混乱があろうとも、自分の大切にするべきものを大切にし、愛を伝え、やるべきことをやって丁寧に生きていたいと思う。

 

ワニのおかげで感慨深くなり、何かを書きたいと思ってしたためたブログでした。

 

 

 

寝れない夜の子育て論

コロナウイルスが気になって寝れない。

 


昨年10月の台風の時もそうだったが、産休中や育休中だと時間だけはあるのでやたらニュースを追ってしまい、情報量に疲れてしまうことがある。今回の新型肺炎についても不安が大きいので、新聞テレビTwitterネットニュースと全媒体から情報を集めてしまい、辛くなってきた。いや見なきゃいいんですけどね。

 


今日から帰省しているが、新幹線の中も緊急事態を感じた。東京駅では厚生労働省からのお知らせとして新型コロナウイルスが流行っていますというアナウンスが流れており、新幹線のニュースでも同じで、国からのアナウンスが日常空間に溢れているあたり厳戒態勢のよう。しばらく出かけてなかっただけに情報量の多さに疲れた。実家に着いた時にはホッとした。

 


帰省して自分の部屋に子供を寝かせて、自分も一緒にゴロゴロしながら、なんだかとても不思議な感覚にとらわれた。今まで実家は子供だった自分を思い出す場所だったけど、そこに自分の子供が一緒にいる。自分が赤ちゃんの頃の記憶は全くないけど、この年齢の頃の自分は確かにここにいたんだよなと。そして、東京の今住んでいる家に対して、私の息子は同じことを思うんだろう。きっと彼は大人になったら覚えてないけど、私と夫が住宅ローンを組んで買った手の届くマンションで息子は育ち、それが彼の原風景になる。

 


今住んでいる東京東側エリアは、昔住んでいた頃も住み良いと思っていたけど、子供を産んだ今もかなり住み良いと感じる。引っ越す前住んでいた都心エリアは、住み良い街だったもののどこか馴染めずいつか引っ越すだろうという予感があった。自分が勝手に壁を作っていただけだと思うけど。今住んでいる町がどうしてこんなに好きかというと、適度に郊外感があるからだと思う。マックとファミレスしかない地下で鉄の最寄駅、ユニクロや無印といった生活に必要なものは揃っているが適度にしょぼいターミナル駅。地方では国道沿いに並ぶ無個性なチェーン店が、東京では駅ビルの中に集結している。「ファスト風土」という言葉にふさわしい景色。タワマンもあるけど昔からの傾きかけた戸建てもある。都心の第一種低層住宅地にはない雑然さが今住んでいる街にはあって、それが地方出身の私にとってはとても居心地が良く、ホームタウンのように感じられるんだと思う。

 


つまり今住んでいるところは、自分の原風景に近いものがあるんだと思う。原風景というには東京は都会すぎるけど、街の規模や人の雰囲気がちょうどいいんだろう。わたしにとっての「ちょうどいい」は、息子にとってはどうなるのかな。まぁ泣いても笑っても今住んでいる場所でしばらくは育ってもらうわけだが、どんなアイデンティティを形成するのだろうか。

 


寝れない深夜の雑記でした。