産休備忘録

育児をなんとかサバイブしたい母親業初心者のブログ

一歳半健診で発語が遅いと指摘された話

タイトルそのままの話で、ただ今の感情を整理するためだけの記事です。

 

先日一歳半検診があり、夫に行ってもらってきた。結果発語に少し遅れはあるが経過観察とのことで、特に大きな指摘はなく終了した。1歳半だからまだ発達にはかなりばらつきがあるし、発語を指摘される子も多いだろう。以上。という感じなのだけれど。

 

夫に行ってもらったのは別に私が仕事でいけなかったからとかではなく(仕事ではあったけど)、私が行ったらかなりの不安に駆られてしまうだろうと思っていたからだ。息子がまだ語彙が少ないのは保育園でも指摘されていて、最初はまあそんなもんかと思っていたのだが、じわじわと後から気になり出してしまった。検診でも同じように言われたらこれは結構凹んでしまうなと思い夫に行ってもらったのだが、これは正解だったと思う。夫はまあそうですかという感じで受け止めて普通に帰ってきた。そのうちもっと喋れるようになるでしょうという姿勢を崩していない。きっとそうだろう。今のこの不安は3ヶ月後にはきっと笑ってしまうような不安かもしれないし、もしかしたらもうちょっと時間はかかるかもしれないけどいつか息子は大きくなる。その時にはそんな悩みもあったなあと忘れてしまう悩みなのかもしれない。(もっと悩みが深くなるケースもあると思うが、今は想定しない。)

 

子育てはそんな悩みの連続だ。生後3ヶ月の頃はハンドリガードができるかどうかそわそわしていた。生後半年には寝返りができるか、その後はハイハイがいつできるか、1歳前後で歩くかどうか、ずっとそわそわしていた。今はそれが喋るかどうか。これまでの息子の発達はだいたい月齢通りといったところで、特に早くも遅くもなく、そわそわするだけ無駄だった。それがわかっていてもそわそわするものはそわそわする。別に息子も全く喋らないわけではない。「わんわん(動物全般)」「ぶーぶ(車)」「ママ」「いぇいいぇい(テンション上がった時)」「ゴーゴー(出かける時)」など語彙はそこそこある。なんだしゃべってるじゃん。今日の検診で出てこなかっただけじゃん。なのにちょっと公的機関でなんか言われただけで私は不安になる。今まで発語があるつもりだったけど、単に大人の言葉をリピートするだけであまり自発的な言葉ではなかったのかもしれない。でも息子とはなんとなく会話できているように感じることもあるし、こちらが指示したものを持ってきてくれたり、十分成長しているのだ。たった半年前の1歳の頃には今のように言葉を真似したり何かを持ってくるようなことは全く成長できなかった。いわんや生まれたことのことを思うと。

 

息子は十分成長しているし、人と発達具合を比べても仕方ないのだけど、どうしても気になってしまうのが親の性なのだろう。なんで気になるのか。息子に「普通」を願ってしまうからなんだろう。普通から並外れた存在でも構わないと思えるほど私はまだおおらかにできていない。いつかその普通が子供を縛る枷にならないといいのだけど。子供はそれぞれ個性があるしありのままでいい、それはそうなのだけれど。

 

義理の両親が教職をやっているのだが、進路相談会のときにはいつも「生まれてきた時のことを思い出してください。元気でいいとだけ思っていたのに、みなさんは今お子さんに何を願いますか」と問いかけるそう。最初まだ0歳だった息子を連れて義実家に遊びに行った時にはそんなの当たり前だよね、すぐ親ってあれこれ願うようになるからうざいよね、などと思っていた。けど一歳半で私もすぐにそちらの仲間入りだ。なんなら最近は東京の中学受験事情に詳しくなろうと片っ端から本を読んでいる。おかげで大体東京都心部の私立中学はわかるようになった。自分が受験していれば当たり前の世界なのだろうけど地方出身の私にとっては未知の世界だ。今まで大学の友達の出身校を聞いてもいまいちピンとこなかったのが鮮やかになってくる。2月の勝者も読んだし、大学進学をめぐる教育虐待を描いた「スカイキャッスル」のドラマも見た。私立中学がわかるようになったと言っても高偏差値の有名校ばかりだ。自分の子が行ける保証なんてひとつもない。なのにどうしても気になって調べてしまう。少し前のブログで初期教育には手を出さないなんて宣言しておきながら矛盾している。結局自分のエゴで色々子供に期待をしてしまうことからは逃れられないし、そのエゴとどれだけ向き合うかが今後の子育ての悩みどころなのだろう。そしてそのエゴは子供にとって望ましいものではない。

 

ちょっと心がザワザワしかけたのでブログに書き出して落ち着いた。発語遅れにもしかして今の自分の生活態度が問題あるのかも、というのもふと反省する。仕事で疲れるとあまり相手もできずテレビに依存してしまう環境、ねだられたら見せてしまうスマホ。発熱時に家で面倒見ながら仕事する時はとても育児してるなんていえないレベルでひどいし、人様には見せられない。そんなこんなで1年半も過ごしてしまった。じゃあ仕事してなかったらちゃんと子供と向き合えていたのか?そうでもない気がする。仕事していない自分はいなかったのだから考えても仕方ない。自分は自分にできる範囲で子育てに向き合っていくしかない。リソースも限られている。ちょっと成長がゆっくりかもしれないし、母親はズボラかもしれないけど、まあ息子なら大丈夫。そのうちのんびり自分の道を見つけてくれ。そう願っておくことしか今の私にはできない。