産休備忘録

育児をなんとかサバイブしたい母親業初心者のブログ

東京オリンピックのボランティアに参加した

オリンピックのボランティアに参加していた。

 

 

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応募したのは確か2018年。どんな動機だったかもあまり覚えていない。ただ、自国開催でやるオリンピックなんて最後だろうし、英語で何か貢献できることもあるかもしれないし、スポーツには全く興味がないがボランティアくらいなら何かできるかな、という程度の動機だった気がする。

 

募集枠に対してある程度の応募があったようで、面接のようなものもあった。応募者全体が参加してオリンピックの説明を受けた上で、5分ほどの面接。志望動機と、何をやりたいかと聞かれた簡単なインタビューだった。私が希望したのはアテンドという海外ゲストのサポートをする仕事。偉い人とかと知り合いになれたら面白そうだなと思って。3ヶ月後くらいに気づいたら通過した旨のメールが確かきていた。

 

2019年10月には、来年のオリンピックに向けてという体で研修があった。この頃は2020年にオリンピックがあることを誰も疑っていなかった。私は産休に入ったばかりで、お腹のかなり大きな状態で参加したことを覚えている。

 

そして去年オリンピックが延期になり、それ以降の研修は全てオンラインになった。度々くるメールやユニフォームの受け取りなど、ちょこちょこイベントはあったものの、オリンピック自体を本当にやるのか最後の最後まで疑心暗鬼だった。

 

最初の活動日はまだオリンピック開幕前で、世間もオリンピックムードなどはなく、まだ観客を入れるかどうか議論していた頃だった。ボランティアは活動先までユニフォームで行くことが義務付けられているのだが、五輪反対派に声をかけられたりしたらやだなと思ってユニフォームの上に上着を着た。なんとなくTOKYO2020のロゴが入った服を着ているのが後ろめたい気持ちだった。

 

23日に開会式があって、SNSでオリンピックに関する投稿を多く目にするようになり、毎日のニュースが五輪で溢れ出した頃、ようやくユニフォームだけで堂々と会場に行けるようになった。自分自身も在宅勤務をいいことに昼間の競技もちょいちょい見ることができた。閉会式もちゃんとTVで見たのは初めてだった。活動最終日には、ほんの少し寂しい気持ちすらあった。

 

以上が私のオリンピックにまつわる話である。

 

活動自体は、正直大したことはできていない。選手ではなく、IOCや各国海外ゲストのサポートということで、彼らが滞在するホテルでの会場設営やヘルプデスク、検温やアクセス権があるかどうかをチェックするという係りだった。基本冷房の聞いたところで、のんびり座っていることが多かった。ヘルプデスクの時は英語でいろいろ話したりしたが、それ以外の業務ではほとんど話すこともなく、人の来ないエリアでチェックしているときにはスマホに目を落とすことすらあった。自分は所詮その程度のモチベーションだったのかもしれない。

 

メディアでは、ボランティアも影の貢献者だとか、ボランティアで人生が変わったというようなポジティブなニュースもある。私はそこまでの熱意を持って活動できていなかったし、そこまで貢献できたような気もしない。正直最初はもっとこの夏でいろんな経験ができるのではないか、いろんな刺激をもらえるのではないかと期待していたが、そこまでではなかった。確かに他のボランティアの人と話したり、在宅勤務の中外で活動することができたりと、刺激はもらえた。参加している人の動機を聞くのは面白かった。前回の1964年のオリンピックに父が参加して、なんてレジェンド級の人もいたし、スポーツが好きな人もいたし、同じように英語を生かしたい人もいたし、いろんな人がいた。ただ、自分がそこまでこのボランティアに賭けているものが少なかったからなのか、何日か活動して面白かったなあ、という感想を超えることはなかった。

 

学生時代まで夏にあるイベントというのはいつも人生の転機になるような気がしてわくわくしたものだった。留学、バックパック旅行、サマーキャンプ。いろんな活動をしていろんな出会いがあって、そのうちのいくつかは確かに私の人生の方向性を変えたかもしれない。でも今の自分はすでに会社に勤めていて、家族もあって、あまり方向性が変わりようがないし、変える気もない。自分の人生はある程度確立されてきたし、ある程度来るところまでは来たんだなあ、などということを考えたりした。

 

いろんな意見があったし、政治的経済的にオリンピックがどうかという議論をするつもりは特にないけど、個人的には貴重な経験だったな、と思う。従来と比べると少なくはあったかもしれないが、海外のゲストが多く集まっている空気を久しぶりに感じられた。もっと街中でその空気を感じることができたらよかったのにな。時期が違ったらどんなオリンピックだっただろうか。それは考えずにはいられない。もっと賑やかで、もっと華やかだったんじゃないかな。ひっそりとユニフォームの上に上着を着ることもなかったんだろうか。

 

自分が生きているうちに東京でオリンピックをやることはないだろうし、仮に息子の生きる時代でも、3度目があるのだろうか。別にオリンピックを地元でやることに価値があるわけではないけど、もしそのような機会があったら、子供に何か話したりすることができるのかな。いやーそこまでの経験でも、そこまでの大会でもなかったような気がするし、ネガティブな話も多いような気もするけど・・・。まあ、ちょっとは子供に何か将来話せるかもしれないことができた、というのはいいことだと思おう。興味を示してくれる日が来るかもしれないし。結局何をしていても子供になってしまうな、と感じる今日のこの頃。